maktub

ume's wanderlust diary

不安と選択

オーストラリア上半期は本当に選択の連続で。

いつからって言われたらね、

もう分かってるのさ。

全ては4月末の小さな小さな、

でもとても大きな出来事から始まった。

 

でも、本当の根本の

もっと大元のきっかけとなった日は、

もっともっと遡って、

高校1年生の時なんだな。

 

2009年の夏、奈良先生の

世界史Bの授業中。

 

ちょうど、ローマ帝国時代が終わって

ウマイヤ朝を勉強していたときかな。

 

あの気だるい教室の、

昼休み明けの雰囲気と

奈良先生の言葉や表情、

覚えているよ。

 

そもそもの、本当のきっかけは

いったいいつ?なんで?と聞かれたら

間違いなく、この瞬間。

それが、答え。

 

 

不安はないの、とか

ちゃんと考えたの、とか

もっとゆっくり考えたら、とか

そういうことを言われたら

バカなんじゃないのって

答えちゃうかもしれない。

 

だってさ。

 

不安に決まってるじゃん。

不安ばっかりで、

お腹痛くて痛くて

眠れない日だってあるし、

泣きそうになっちゃう日だって

そりゃもうたくさんあるし、

軽く鬱っぽくなっちゃう時だってある。

 

めっちゃ考えた、

っていうか今もずーっと

考えて考えて考えて

考え続けてるに決まってるじゃんね。

 

そうやって考え続けたところで

答えなんて全く出てこなくて、

『この先の答えを知りたいなら

リスクを覚悟で飛び込みなさい

じゃないと一生ここから

前にも後ろにも進めないよ』って

そういうところにいるんだよって。

 

っていうか、

今までもずっとそうだったのさ。

 

選択肢は与えられるけど、

私に選択の余地なんてない。

半泣きになりながら

それでも進むしかなくて、

そうやって進む上で

切り捨てないといけないものも

本当にたくさんあった。

 

それを本当に深く、

ちゃんと分かっている人は

本当に極少数しかいないはず。

その筆頭は、石垣島の、君だよ。

あの時は支えてくれて

私よりも私を理解してくれて

背中を押してくれてありがとうね。

 

 

でも今回は少し違ってて、

選択肢を与えられた。

選択肢を与えるだけ与えた後は

完全に静かになっちゃって。

完全に私の答え待ち。

 

『決めなさい』って。

『あなたがずっと昔から

泣きながら私に

道を教えてくださいと懇願した、

その道の入り口まで連れて来たよ』って。

『この入り口を通るかどうかは

あなた次第だよ』って。

『決めなさい』って。

 

しかも優しい神様は

道だけじゃなくて

その道を一緒に導き歩いてくれる

灯さえ、ちゃんと準備してくれてた。

 

その灯りを手にとって

一生手放さない覚悟。

その灯りが消えそうになったときには

私が油を注いで、

しっかり灯が消えないように

見守って、愛を与えて、

信頼して、歩き続ける覚悟。

 

そして、この入り口を通ったら

もう後ろは振り向かず、

前だけ見つめて歩いて行く覚悟。

 

そういう覚悟を決めなさいよって。

その覚悟が決められるまで、

全部とりあえずストップしておくからって。

でも時間は有限だから

いつまでストップがかかるか

あなたには分からないんだよって。

だから、ゆっくりしすぎちゃダメよって。

 

そういうことを、細い細い糸を通して

ゆっくりゆっくり

静かに、でも優しく、

伝えてきてくれてる。

 

 

できるだけ心に従って

感覚に従って生きて行くようにしてきた。

あの、事故にあって

命は有限でいつ終わるかなんて

誰にも分からないと知った日から。

 

私は自由を失うんだろうか。

それとも自由への

長い長い片道切符を

手に入れるんだろうか。

 

選択をする上で、

何も考えていないと思われることも

多いんだろうと思うけれど、

本当にたくさん、たくさん、

考えているんだよ。

その上で、心に従うって

毎回決めてるんだよって。

 

その私の『命』の声は

誰にも批判できないし

誰にも反対させられないよね。

誰も、私の『命』の選択なんて

取れないんだから。

 

『命』は私のもの。

私だけのもの。

でも、いつかお返しするもの。

この世において、

与えてもらって

お借りしているもの。

 

だからこそ、私は『命』に対して

大きな責任がある。

 

覚悟を決めろ

肚を決めろ

 

選択の前なんて

考えたところで

分かるものなんてほんの少し。

選択しちゃわなければ、

何も見えてこない。

 

だから、迷って当たり前。

不安になって当たり前。

 

でも、静止した水は

石を投げ入れ、波を立てないと

いつまでも静止したまま。

そうして、少しずつ

腐っていってしまうんだよって。

 

そういうことなんだな。

 

導かれてるんだから、

その自覚もあるんだから、

細かい人の意見に左右されてるなよってな。

嫌われたっていいのにね。

 

どうせそういう人は何を選択したって

気にくわなんだから。

その人の人生を代わりに生きてあげて

初めてようやく

嬉しそうな顔を見せるんだから。

 

って、一体何年、考え続けてるんだろう。

本当の自由は、そこから。

そうだ。

本当の自由はそこからなんだ。

ステレオタイプと偏見

 Stereotype and prejudices 

 

大学の時に散々勉強したテーマ

 

A theme that I had studied so much during my university. 

 

理屈も、仕組みも、成り立ちも

頭では、知識では、理解してるのに

いざそれを目の前にすると

もうどうしていいのかお手上げ状態。

 

Even though I understand its logic, its system, its origins, as a knowledge, 

I really don't know how to deal with it when I face it in person... 

Thus I was keep thinking, thus I wrote this.

 

身近な人にこんなに深く

ステレオタイプや偏見が隠れていたなんて

知ってしまったことにもショックを受けるし

言葉っていうのはこんなにも

人の心に届かないものなのかと思って

またショックを受ける。

 

I was schooled to know such deep stereotypes and prejudices were hidden just around the corner, so close to me. 

And I was schocked to know how a word is useless when the other shuts down mind and heart. 

 

ステレオタイプも偏見も

元を正せば間違った情報

それがそもそもの原因。

 

 Both stereotypes and prejudices are rooted from the "wrong information". That is the cause. 

 

そして、間違った漠然とした情報なんて

ちゃんとした理論も根拠もなくて

とりあえず、そこら辺にあるもの

全部かき集めて自分に都合よく

部分的にピックアップして

繋ぎ合わせて、切った張って、

そうやって作り上げたものに過ぎなくて。

 

And such "wrong information" is just a tapestry of flaunting information that has no logical line between them, which has been cut and pasted, edited and pasted based on one's interest and specific purpose. 

 

それを人は、渡されたそのまま

全部鵜呑みにしてしまうし、

それを悪いこととは言わないけれど、

聞く耳を持つことは、

どんな状況でも必要で。

 

People tend to take in whatever they had been given, without questioning anything about it. 

I do not say a person to do such action is guilty, but it is crucial to have an ear to "listen" no matter what is the circumstances. 

 

例えそれが自分にとって

全く理解の範疇を超えるものであるとしても

とりあえず一度感情を傍にいて、

改めて自分の意見を

構成し直す機会と捉えて

とりあえず一回全部聞く。

それが何よりも大事なこと。

 

Even though that is something out of comprehension, unimaginable and unthinkable thing, 

it is important to put one's emotions aside for a second, and truely "listen" everything that the other has to say.

One should take such an opportunity for reconstruct their own image and concept for the discussed matter. 

 

ステレオタイプと偏見の二つ目は、誤解。

言葉と認識の相違。勘違い。

自分が思っていることと、

相手が思っていること。

言葉は同じでも、そこに付与される

言葉の定義や意味や重みは

人によって異なるもので。

 

The second cause of stereotypes and prejudices are "misunderstanding". 

The difference of perception one has towards a word or idea. 

What "I" think and what "you" think. 

Even though a word is same, the meanings attached to the word, the weight it carries, the concept, differes between individuals. 

 

だからこそ、一度聞く。

聞いた上で自分で調べる。

調べた上で、改めて話し合う。

その上で最終的に自分個人の意見を持つ。

 

That's why you must to "listen". 

Listen and make your own research based on what you have listened. Then discuss about it based on information you have gathered and constructed. 

And only then, you will carry your own opinion. 

 

 

でも、人は知っていると思い込む。

 

But people believe blindly that "they already know". 

 

日本有数の大学で学んで、学士もとって、

実際に現地の人々と過ごして話して、

自分で様々な手段を使って

調べて、聞いた話と照らし合わせて、

さらに調べて、調べたことを元に考察を立て、

そしてまたさらに、その考察を

調査と聞き込みを通して補強・修正し。

 

Studied in the university, 

took a degree about such matter,

actually spent time with local people and talked with them, 

 

using different methods and devices I researched, listened, compared what I have researched and what I have listened, researched again, built an own theory based on what I had researched, 

once again research and listen further more to fix and strength my theory...

 

その私よりも、

ニュースで見た情報しかないあなたは

「事実を知っている」という。

「あなたは何もわかっていない」

「洗脳されているだけだ」と言う。

 

And yet, despite all of this, you, whom gathered information only based on news and social media, come to me and say,

"I know better than you". 

"You are not understanding",

"You are only brainwashed". 

 

そうだろうか。

学士も、研究も、根拠も、

何も、意味をなさないのだろうか。

ニュースなんて、メディアなんて

情報操作されまくっているのに?

 

Is that so? Is that true? 

A degree, researches, references,

all of this does not have any meaning for people? Any weight? 

Even if many of the news and media are full of manipulation? 

 

現地の人から情報を得れば「洗脳」と言い、

調査・研究・勉学に励んでも「洗脳」と言い。

 

It is a "brainwash" if I get information from locals ans specialists. 

It is a "brainwash" even if I research, study, lean. 

 

教育や学問はどこにある?

結局、そんな理論も理屈も

感情論の前には無意味なものなの?

 

Then in where does education and academic exist? 

Are, after all, all these logics and theories meaningless in front of the emotions? 

 

結局、信頼性のある筋から得た情報でさえ

相手方の仲間内から出た情報でなければ

信じるに値せず、なのであれば。

洗脳されているのはどちらなのか。

自由とは一体なんなのか。

分からなくなる。

 

If, in the end, people can not trust information from a trustful references, if the sources do not come from your own people, 

then who is the one "brainwashed". 

What is the meaning of "freedom"? 

I don't know anymore. 

 

もちろん、ステレオタイプや偏見を持つ人を

批判することは正しくない。

それは正しい解決法では、決してない。

 

Of course, accusing people with stereotypes ans prejudices are not "right thing" to do. 

That is defiantly NOT a right solution for the problem. 

 

人は自分の色眼鏡を通してしか

世界を見ることはできないし、

その色眼鏡は社会と文化と

習慣と経験によって色付けられていく。

それをつけていることすら、人は気づかない。

そんな人を、どうして非難できる?

ただ、知らないだけなのに。

 

People can only see the world through their own coloured-lenses.  

Lenses are painted by social norm, culture, customs and personal experiences. 

And  people don't even realise to have such lenses on. 

How come you can blame and accuse such people? They just don't know...

 

でも、人は理解し合おうとすることを

諦めたら絶対にダメだ。

分かり合おうとしなくていい。

そんなの意見の押し付け合いになるだけ。

理解しようとすること。

そうすると人は話そうとする。

相手は聞こうとする。

そのプロセスが大切。

 

But people must not give up on trying to comprehend the others. 

You don't need to understand the other. 

That's only leads to forcing one's opinion over the other, in order to change other's opinion. 

You try to comprehend. 

So you will try to explain. 

So you will try to listen. 

That process is the most important. 

 

その上で、人は自分の個人的見解を

個人として持てばいい。

それを他に押し付けようとした時点で、

自由という大義名分の元に

相手の自由を潰し

自分の主張と生き方を押し付けてるだけ

ということに気づかないといけない。

 

And only then, you can have your own individual perspective, "as an individual".

On the moment you try to force the other to see the world in the way you see, one should realise that he is using the name of "freedom" in order to take away the other's freedom, and to force the other to see and live the way hw wants the other to live. 

 

簡単なことじゃない。

でも人は分かり合える。

本当に悪い人なんていない。

そういう意識を持ち続けないと

きっと、理解し合うことなんてできない。

 

It's definitely not easy.

"But people can comprehend one another". 

"There's no evil person in this world". 

If you don't start from that point of view,

how come we can understand one another? 

 

勘違いのせいで、知らなかったせいで

誰かを憎むことも、嫌いになることも、

そのせいで傷つくことも、無意味なこと。

人生が、勿体無い。

命が、勿体無い。

 

Because of misunderstanding,

because you don't know,

you start to hate someone, dislike someone, and because of that you hurt yourself...

All of this is useless. 

Don't waste your life. 

Don't waste your soul.  

 

教育とは、

学問とは、

研究とは、

学びとは、

自由とは、

個人とは、

社会とは、

文化とは、

一体なんなのか。

 

What is

education,

academics,

researches,  

learnings,

freedom,

individal,

society,

culture,

 

what are they in the end of the day? 

 

 

何ができるのか。

What can we do? 

 

結局、最後は祈るしかない。

優しい世界になるように。

全ての人が愛さる世界に。

全ての人に優しい世界に。

 

In the end, you can only pray. 

Pray for the world to be a kind place. 

Pray the world to be a lovable place for everyone. 

Pray the world become a kind place for everyone. 

 

Maktub...

 

 

これは誰に向けた批判でもなく、

自分と、世界に対する戒め。

改めて、自分に向けた叱咤激励。

頑張らないと。

強くならないと、優しくなんてなれない。

だから、強くならないと。

 

This is not a criticism for anyone. 

It's only a reminder for myself.

And for the world. 

A word to spurred myself, to try harder. 

You cannot be gentle unless you are strong. 

Thus I must be strong. 

 

皆を守れるようになるために。

皆に優しくいられるようになるために。

ごめんね。

頑張るね。

だから、あなたも、

「わたし」を、諦めないで。

To be able to protect everyone. 

To be able to be gentle for everyone. 

I'm sorry for hurting you because of my weakness. I'll try by best.  

Thus, you too, please don't given up on me yet. 

 

はてなブログの困ったな

はてなブログ

ちょっと前から

書いてアップしたら

なぜか文章全部飛んで

真っ白のままアップされて

書いた内容全部消えることが

多々ありまして。

 

アプリの問題かなと思って

アプリ再インストールとかもしてるんだけど

なかなか改善されません。

 

それもあって最近更新おろそか。

 

ブログお引越ししようかな...

おすすめのブログ媒体あったら

ぜひ教えてくださいな♬

自分と他人と私と

知らないで判断してることって

この世の中でどれくらいあるんだろう。

首まで浸かって初めて

見えて来る世界っていうのがあって。

でもそれを人に説明して

理解してもらうのはこんなにも難しい。

 

結局のところ人は人で

個人の感情や感じたことなんて

他人には計り知れるものであるはずもなく

想像の域を出ないものであって。

 

ただ。

「信じてない」と断言して来る相手に対し

本当の自分をさらけ出せるはずもなく、

さらけ出したところで

相手は見たいものしか見ないわけで

結局のところ相手の思う「私」でしかありえなくて

でもその「私」はとっくの昔に

「私」なんかじゃなくなってて。

 

「あなたらしくいて」と言われるけれど

「私らしさ」って何なのだろうか。

それはあなたの望む「私」であって

本当の今現在の「私」なんかじゃなくて。

 

だって。

どんなに頑張ったって

人は自分じゃない存在になんてなれないし。

例えば人の真似を頑張ってしていたとして

そうやって人の真似をする自分が

また「自分らしさ」であるのであって。

 

なんてことを言ったところで

伝わるわけもなく。

だって人は見たいものしか見ない。

 

だったら、もういいや。

自分らしく、あなたらしく。

 

人を理解してるなんて

そんなこと思わない方がいい。

自分でさえも自分自身を

理解しきれてない中で、

どうして他人を完全に

理解することなんてできるのか。

 

それは、ただのおごり。

おごりは自分の期待値を高め

それだけ期待に反した結果がでたときの

裏切られたような気持ちが強くなる。

 

自分に対する戒め。

マレーシア✖️ココナッツウォーター

とある日の会話

 

「今ね、ココナッツウォーターの効用について読んでるんだけど、ココナッツウォーターって飲む点滴って言われるくらい栄養価あるんやってね!」

 

「そやで、マレーシアでは毒ヘビとかサソリに噛まれた時に...」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って。

マレーシアってサソリおるん?」

 

「?せやし皆ネコ飼ってるんやで?

よくネコがサソリとか蛇とか家に持って来るんよねー。

まぁ、死んでるやつやねんけど」

 

「....さ、サソリってどれくらいでかいん?」

 

「そんな大きくないよー!これくらいかな」

 

人差し指と親指を精一杯ひろげて大きさを表現してくれる。

 

指、曲げてないです。綺麗に伸びてます。

15センチくらいあるんじゃなかろうか。

 

🦂🦂🦂🦂🦂🦂🦂

 

いや、小さくない。

でかい。

普通にでかい。

おかしいおかしい。

 

リアルに口ぽかーんと開けてるわたしをみて

察してくれた彼の優しさ

 

「もっと大きいのはね、これくらいあるもん」

 

20センチ以上、尻尾を表現してくれたけど、尻尾の長さも15センチくらいあるんじゃなかろうか。

 

ぽかーん。

 

.........

 

はっ!

 

「ちゃう、サソリは良くて。サソリとココナッツウォーターの話やん!」

 

「ああ、そうそう。サソリとか毒ヘビに噛まれたらな、ココナッツウォーター大量に飲むん。お腹ぱんぱんなるまで。で、お腹ぱんぱんなったら全部吐き出す。で、またお腹ぱんぱんなるまで飲み続ける。血のデトックスをするんよね」

 

え、ココナッツウォーターやばくない?すごくない?

 

「あとはね、汗かかないといけないから、めっちゃ暑くすることも大切」

 

「ココナッツウォーターそんなにすごいの?無敵やん!」

 

「あ、その間もちろん病院に向かってくださいね」

 

最後に一言付け加えて、彼は去って行きましたとさ。

 

 

 

ココナッツウォーター

やばいですよ。

飲むべきですよ。

end of the Blue-Spring

Thinking back about all the things happened in the past one year and half, all the places I have been, and all the people I have met. 

 

Reading back my old blog posts. 

Renembering what was the origin of my heart. What was the deep desire of my soul that always had pushed me to continue running through my life choices. 

 

Talking with my best friends in my home town.

All of us thought we know what we wanted to be, where we wanted to go, few years ago when we were still 20 years old. And now, we reunite, and realise that all of three of us are just in the completely different place, doing different things, and stopping for a while to live within the societal escalator. 

 

That running from something we hadn't even know seems to be finished. We finished our young year, our blue-spring. All the nights, stars, moon, drives in the unknown, the running-running and hurrying-hurrying to escape from something we hadn't even know what it is.

 

The person I was back then and the person I am now does not coincide. It feels like two of me are different person from completely different life. But both of them, all of them, are, me. And even though it feels like my life is small individual pieces of time block, it is all connected in one timeline. 

 

Thinking back what I really wanted, what I was always looking for, what has been my origin. Does my purpose ended? Did I already arrived to the goal I was willing to achieve? Why I don't feel like I want to travel and wander anymore, in the same way I have felt just few months ago? Did I find the glimps of what I was looking for on the end of my blue-spring wanderlust days? 

 

No no one can wander for forever. One day, everyone will find their place to settle down. I don't mean geologically. I mean within our soul, our heart. 

 

Does that happened to me? 

Did I become an adult without realising? 

All the memory and thoughts of blue-spring time feels so far. I cannot do what I have always done, I cannot think in the way I used to think anymore. I feel tired. The years are caching up and I'm not a kid anymore. 

 

And that is okay. 

 

It is okay to change. 

It is okay to become an adult. 

It is okay to desire to stop, to settle, to desire a home and settlement, even though the blue-spring me feels that I am betraying her, and all her choices. 

It is okay, because everyone glows. 

No one can stop the time. 

How hard we desire, no one can. 

 

And that is okay. 

 

The past one year and half had so much going on. It was my last levolution for freedom. For fighting for everything that surrounds me, and running from one place to another before the time caches up with me.

 

I run, run, run, run, run, run, run, run, and lived, lived, lived, lived, lived, lived, as though the life was very short, and the End was just around the corner so I had to hurry so much to take in everything before everything was over. I was trying to soak in every bit of freedom and wanderlust the life had to offer me, no matter how sweet, bitter, delicious or not it tasted. I was so concentrated to live every second of my everyday life, and getting the maximum of what it had to offer. 

 

And now. I feel I am truly satisfied. 

 

Not that I gave up. 

Not that I am exhausted. 

Not that I have lost my hope

 

Not quite. 

 

Just became silent in my heart. 

Just became satisfied for what I wanted to do, because I did so much, experienced so much in such a short time. 

 

What looked appearent back then doesn't have same effect to me anymore. And I admit, it is confusing. I feel confused why all of sudden all of what I have fought for so aggressively and so passionately has disappeared, why I don't feel to fight anymore. 

 

What did I find?

Whom I have met? 

And where I have arrived?

 

I don't know. 

 

But.

 

I am grateful for all that happened in my life, all the choices I had made, all the days I have lived so vividly. 

 

And now. I feel my blue-spring came on the end. The last summer was the last blue-spring, and I gave so much of all of me to live as much as I could.

 

And I feel that now that old chapter of gioventù has come to an end. Now, slowly, I will start my new chapter of adulthood. And will keep all that has touched my soul within me, will carry within my life. 

 

That is okay. 

 

It is okay to grow up. 

It is okay that the blue-spring will come to an end one day in our life. That's how it should be. 

 

It is okay. 

I am okay.

 

maktub

 

everything is written. 

And now, I will lose my desire to have all my life within myself, and release it to God. 

 

It is okay. 

I am okay. 

 

maktub

everything is written. 

and everything is happening as planned by something superior,

in the perfectly organised manner. 

 

Perfection is the name of Him, and I give all of myself to Him. I trust all the flow of my life and will follow it. 

 

Goodbye my wanderlust days.

Goodbye my blue-spring. 

Goodbye my tearful and laugh-full endless night. 

I will now, start to live under the sun. 

And welcome my new now-starting-to-begin chapter of my life, which title I do not know yet. 

 

With a lot of love, and a lot of gratitude. 

Thank you so much the old me, for had been living so strongly. Thank you for all you did, all you made me experience. Thank you for all you had gave me. 

 

I love you, so so so much. 

 

Thank yoh. 

おもひで

こもるタバコの煙

ギターの弦を強く弾く音

少しドロリとした焦げ茶色の雰囲気

カウンターのこっちとあっちの境界線が

あってないような

そんな不思議な空間と不思議な人たち。

世界の端っこの隅っこの

そんな錯覚を覚えるあの場所は

あの空間は

本当に存在していたんだろうか

なんて、たまに思うことがある。

特に、君の唄を聴いてる時に。