maktub

ume's wanderlust diary

振り返ってみれば路ができている

一年前

いや、半年くらい前まで

すごく迷っていた。

迷って迷って

何も見えない真っ暗な闇の中を

必死に自分の感覚を頼りに

少しずつ、進んで、止まって、

また進んでは止まり。

 

1人でありたくない自分と

それでも私を動かし続ける

自分じゃない、自分の中の「何か」と。

その間で揺れて

迷いながら、ビビりながら、

半ベソかきながら、不安を抱えながら、

それでも進んで、進んで、進んで。

進むのに少しでも邪魔なものは

泣きながら手放して

傷つけた以上に自分も傷ついて、

それでも、その自分の中の「何か」に

従うしかなくて。

 

選択肢はある

でも選択の余地はない

選択肢があっても

路はひとつしかない

 

それが口癖だった。

自分を説明するときの。

 

 

でも、今、振り返ってみれば。

導かれてここにいるんだなぁと。

考えすぎるところ、

怒りや不安や悲しさに

思考が傾いてしまう癖、

怒りやすいところ、

うまく自分の感情の

コントロールができないところ、

 

そういうところは変わってないけれど

それでも。

昔の自分の言葉たちを読むとわかる。

 

もう迷子じゃない。

 

ここまで導いてくれたその「何か」に

心の底から感謝していて

毎日地面にひたいを擦り付けて

感謝しているくらいに

ありがたくて、ありがたくて

涙が出るくらいありがたくて。

 

見捨てないでくれてありがとう。

導いてくれてありがとう。

愛してくれてありがとう。

 

その感謝を伝えるために、

表現するために、祈る。

 

今までと思考のレベルは変わってないけど

心の底の方の根本の何かが変わった。

穏やか。

新しいビジョンが見えてこない。

それくらい、穏やか。

 

「今」を生きる

 

それが今のビジョン

沈黙

沈黙を選ぶ

その態度が嫌いだった

 

けど

いざ自分がそういう場面に直目すると

言葉が急に重さを増して

簡単にその場しのぎの

挨拶のような言葉ですら

言えなくなる

 

心を乗せなければと思う

今、目の前にいる人に

必要な言葉を、と

 

そうして言葉の重みに潰されて

結局悩んだ末

沈黙を選び微笑むことしかできない

 

きっと、

伝わることはないのだろう

言葉にしなければ伝わらない

重さなんて、軽さなんて

言葉にしたって伝わらない

 

だから、

沈黙という名の深い

たくさんの言葉たちが

伝わることはきっとなく

 

そうして僕は冷たい人間になってしまう

 

人はなんというだろう

人はなんと思ったんだろう

 

でも、やっぱり

軽々しく音を発することが

ああいう場ではできなくて

 

沈黙に音があればいいのに

沈黙という名の言葉があればいいのに

そうすれば伝わるかもしれないのに

 

と思う

 

泣きたくなる

 

 

何をしていいか、分からなくなる

何をしたら人は喜ぶのか

何をしたら人を助けられるのか

 

身近な人ほど、分からなくなる

 

本当は分かっている

知識として、知っている

そこに心が伴わない

なんで なんで なんで

 

なんで

そんな簡単なことができない

 

 

沈黙に沈黙を重ねて

その重みに押しつぶされる

自分までもが

 

 

心が傷つく

血なんて流れない

ただ、疼く

膿んでグジュグジュになって

痛みもなく

ただ、傷を見つめる

 

誰か1人でいい

伝わってくれればと願う

 

頭が責める

なんでこんな簡単なことができないのか、と

なんで誰でもできることができないのか、と

なんで、分からないのか、と

それでもお前は血の通った人間なのか、と

 

人の言葉が、自分の言葉が

ひとつになって

心を責める

 

その騒々しさに

心はもっと沈黙して

ただただ、無 になる

もっと深く、沈黙に満ちる

 

ただ、1人でいい、分かってくれたら。

ただ、1人でいい、伝わってくれたら。

 

でも、本当は、

目の前の君に、

分かってほしい

伝わってほしい

知っててほしい

理解してほしい

 

でも、きっと伝わることは

ないのだろう

 

誰にも、伝わることはなく

分かってもらうことはなく

心は届かず

ただ、責める音のうるささに

沈黙がどんどん大きくなって

ただ、ただ

 

もう嫌だって

もう辞めたいって

人間をやめたくなる

 

最初から始められないのだろうか

最初から、全部全部

やり直して

今度こそ

見落とすことなく

余すことなく学んで

普通の大人に成長して

 

そんなこと、できないのに

 

ああ、

ただただ

沈黙が

うるさい

贅沢自分時間

モデルをしていた頃の名残なのかな。

 

少し疲れが溜まったなって時、

ストレスが溜まって来たなって時、

 

自分時間を設けるのが

一番の自分へのいたわり。

 

疲れている時に、あえて

いつもより時間と手間をかけて

スキンケアをする。

丁寧に洗顔して、

パックして、

オイルを数滴、

それからクリーム、

軽くリンパマッサージ。

手を顔に当てて入れ込むだけで

なんだか心の筋肉が柔らかくなる。

 

お風呂に入ったりも、そう。

お風呂の中で本を読んだり、

音楽を聴きながらぼーっとしたり、

脚をマッサージした後は

お風呂から上がって

ボディケアとスキンケアを

満遍なく、愛情といたわり込めて。

 

それからカモミールティーを飲んで

ベットにダイブして

好きな雑誌な本のページをめくる。

 

そんな、至福の時間。

女の子だなぁって思う時間。

 

そういえば最近取れてないなぁ。

お風呂が恋しい、今日この頃。

不安と選択

オーストラリア上半期は本当に選択の連続で。

いつからって言われたらね、

もう分かってるのさ。

全ては4月末の小さな小さな、

でもとても大きな出来事から始まった。

 

でも、本当の根本の

もっと大元のきっかけとなった日は、

もっともっと遡って、

高校1年生の時なんだな。

 

2009年の夏、奈良先生の

世界史Bの授業中。

 

ちょうど、ローマ帝国時代が終わって

ウマイヤ朝を勉強していたときかな。

 

あの気だるい教室の、

昼休み明けの雰囲気と

奈良先生の言葉や表情、

覚えているよ。

 

そもそもの、本当のきっかけは

いったいいつ?なんで?と聞かれたら

間違いなく、この瞬間。

それが、答え。

 

 

不安はないの、とか

ちゃんと考えたの、とか

もっとゆっくり考えたら、とか

そういうことを言われたら

バカなんじゃないのって

答えちゃうかもしれない。

 

だってさ。

 

不安に決まってるじゃん。

不安ばっかりで、

お腹痛くて痛くて

眠れない日だってあるし、

泣きそうになっちゃう日だって

そりゃもうたくさんあるし、

軽く鬱っぽくなっちゃう時だってある。

 

めっちゃ考えた、

っていうか今もずーっと

考えて考えて考えて

考え続けてるに決まってるじゃんね。

 

そうやって考え続けたところで

答えなんて全く出てこなくて、

『この先の答えを知りたいなら

リスクを覚悟で飛び込みなさい

じゃないと一生ここから

前にも後ろにも進めないよ』って

そういうところにいるんだよって。

 

っていうか、

今までもずっとそうだったのさ。

 

選択肢は与えられるけど、

私に選択の余地なんてない。

半泣きになりながら

それでも進むしかなくて、

そうやって進む上で

切り捨てないといけないものも

本当にたくさんあった。

 

それを本当に深く、

ちゃんと分かっている人は

本当に極少数しかいないはず。

その筆頭は、石垣島の、君だよ。

あの時は支えてくれて

私よりも私を理解してくれて

背中を押してくれてありがとうね。

 

 

でも今回は少し違ってて、

選択肢を与えられた。

選択肢を与えるだけ与えた後は

完全に静かになっちゃって。

完全に私の答え待ち。

 

『決めなさい』って。

『あなたがずっと昔から

泣きながら私に

道を教えてくださいと懇願した、

その道の入り口まで連れて来たよ』って。

『この入り口を通るかどうかは

あなた次第だよ』って。

『決めなさい』って。

 

しかも優しい神様は

道だけじゃなくて

その道を一緒に導き歩いてくれる

灯さえ、ちゃんと準備してくれてた。

 

その灯りを手にとって

一生手放さない覚悟。

その灯りが消えそうになったときには

私が油を注いで、

しっかり灯が消えないように

見守って、愛を与えて、

信頼して、歩き続ける覚悟。

 

そして、この入り口を通ったら

もう後ろは振り向かず、

前だけ見つめて歩いて行く覚悟。

 

そういう覚悟を決めなさいよって。

その覚悟が決められるまで、

全部とりあえずストップしておくからって。

でも時間は有限だから

いつまでストップがかかるか

あなたには分からないんだよって。

だから、ゆっくりしすぎちゃダメよって。

 

そういうことを、細い細い糸を通して

ゆっくりゆっくり

静かに、でも優しく、

伝えてきてくれてる。

 

 

できるだけ心に従って

感覚に従って生きて行くようにしてきた。

あの、事故にあって

命は有限でいつ終わるかなんて

誰にも分からないと知った日から。

 

私は自由を失うんだろうか。

それとも自由への

長い長い片道切符を

手に入れるんだろうか。

 

選択をする上で、

何も考えていないと思われることも

多いんだろうと思うけれど、

本当にたくさん、たくさん、

考えているんだよ。

その上で、心に従うって

毎回決めてるんだよって。

 

その私の『命』の声は

誰にも批判できないし

誰にも反対させられないよね。

誰も、私の『命』の選択なんて

取れないんだから。

 

『命』は私のもの。

私だけのもの。

でも、いつかお返しするもの。

この世において、

与えてもらって

お借りしているもの。

 

だからこそ、私は『命』に対して

大きな責任がある。

 

覚悟を決めろ

肚を決めろ

 

選択の前なんて

考えたところで

分かるものなんてほんの少し。

選択しちゃわなければ、

何も見えてこない。

 

だから、迷って当たり前。

不安になって当たり前。

 

でも、静止した水は

石を投げ入れ、波を立てないと

いつまでも静止したまま。

そうして、少しずつ

腐っていってしまうんだよって。

 

そういうことなんだな。

 

導かれてるんだから、

その自覚もあるんだから、

細かい人の意見に左右されてるなよってな。

嫌われたっていいのにね。

 

どうせそういう人は何を選択したって

気にくわなんだから。

その人の人生を代わりに生きてあげて

初めてようやく

嬉しそうな顔を見せるんだから。

 

って、一体何年、考え続けてるんだろう。

本当の自由は、そこから。

そうだ。

本当の自由はそこからなんだ。

ステレオタイプと偏見

 Stereotype and prejudices 

 

大学の時に散々勉強したテーマ

 

A theme that I had studied so much during my university. 

 

理屈も、仕組みも、成り立ちも

頭では、知識では、理解してるのに

いざそれを目の前にすると

もうどうしていいのかお手上げ状態。

 

Even though I understand its logic, its system, its origins, as a knowledge, 

I really don't know how to deal with it when I face it in person... 

Thus I was keep thinking, thus I wrote this.

 

身近な人にこんなに深く

ステレオタイプや偏見が隠れていたなんて

知ってしまったことにもショックを受けるし

言葉っていうのはこんなにも

人の心に届かないものなのかと思って

またショックを受ける。

 

I was schooled to know such deep stereotypes and prejudices were hidden just around the corner, so close to me. 

And I was schocked to know how a word is useless when the other shuts down mind and heart. 

 

ステレオタイプも偏見も

元を正せば間違った情報

それがそもそもの原因。

 

 Both stereotypes and prejudices are rooted from the "wrong information". That is the cause. 

 

そして、間違った漠然とした情報なんて

ちゃんとした理論も根拠もなくて

とりあえず、そこら辺にあるもの

全部かき集めて自分に都合よく

部分的にピックアップして

繋ぎ合わせて、切った張って、

そうやって作り上げたものに過ぎなくて。

 

And such "wrong information" is just a tapestry of flaunting information that has no logical line between them, which has been cut and pasted, edited and pasted based on one's interest and specific purpose. 

 

それを人は、渡されたそのまま

全部鵜呑みにしてしまうし、

それを悪いこととは言わないけれど、

聞く耳を持つことは、

どんな状況でも必要で。

 

People tend to take in whatever they had been given, without questioning anything about it. 

I do not say a person to do such action is guilty, but it is crucial to have an ear to "listen" no matter what is the circumstances. 

 

例えそれが自分にとって

全く理解の範疇を超えるものであるとしても

とりあえず一度感情を傍にいて、

改めて自分の意見を

構成し直す機会と捉えて

とりあえず一回全部聞く。

それが何よりも大事なこと。

 

Even though that is something out of comprehension, unimaginable and unthinkable thing, 

it is important to put one's emotions aside for a second, and truely "listen" everything that the other has to say.

One should take such an opportunity for reconstruct their own image and concept for the discussed matter. 

 

ステレオタイプと偏見の二つ目は、誤解。

言葉と認識の相違。勘違い。

自分が思っていることと、

相手が思っていること。

言葉は同じでも、そこに付与される

言葉の定義や意味や重みは

人によって異なるもので。

 

The second cause of stereotypes and prejudices are "misunderstanding". 

The difference of perception one has towards a word or idea. 

What "I" think and what "you" think. 

Even though a word is same, the meanings attached to the word, the weight it carries, the concept, differes between individuals. 

 

だからこそ、一度聞く。

聞いた上で自分で調べる。

調べた上で、改めて話し合う。

その上で最終的に自分個人の意見を持つ。

 

That's why you must to "listen". 

Listen and make your own research based on what you have listened. Then discuss about it based on information you have gathered and constructed. 

And only then, you will carry your own opinion. 

 

 

でも、人は知っていると思い込む。

 

But people believe blindly that "they already know". 

 

日本有数の大学で学んで、学士もとって、

実際に現地の人々と過ごして話して、

自分で様々な手段を使って

調べて、聞いた話と照らし合わせて、

さらに調べて、調べたことを元に考察を立て、

そしてまたさらに、その考察を

調査と聞き込みを通して補強・修正し。

 

Studied in the university, 

took a degree about such matter,

actually spent time with local people and talked with them, 

 

using different methods and devices I researched, listened, compared what I have researched and what I have listened, researched again, built an own theory based on what I had researched, 

once again research and listen further more to fix and strength my theory...

 

その私よりも、

ニュースで見た情報しかないあなたは

「事実を知っている」という。

「あなたは何もわかっていない」

「洗脳されているだけだ」と言う。

 

And yet, despite all of this, you, whom gathered information only based on news and social media, come to me and say,

"I know better than you". 

"You are not understanding",

"You are only brainwashed". 

 

そうだろうか。

学士も、研究も、根拠も、

何も、意味をなさないのだろうか。

ニュースなんて、メディアなんて

情報操作されまくっているのに?

 

Is that so? Is that true? 

A degree, researches, references,

all of this does not have any meaning for people? Any weight? 

Even if many of the news and media are full of manipulation? 

 

現地の人から情報を得れば「洗脳」と言い、

調査・研究・勉学に励んでも「洗脳」と言い。

 

It is a "brainwash" if I get information from locals ans specialists. 

It is a "brainwash" even if I research, study, lean. 

 

教育や学問はどこにある?

結局、そんな理論も理屈も

感情論の前には無意味なものなの?

 

Then in where does education and academic exist? 

Are, after all, all these logics and theories meaningless in front of the emotions? 

 

結局、信頼性のある筋から得た情報でさえ

相手方の仲間内から出た情報でなければ

信じるに値せず、なのであれば。

洗脳されているのはどちらなのか。

自由とは一体なんなのか。

分からなくなる。

 

If, in the end, people can not trust information from a trustful references, if the sources do not come from your own people, 

then who is the one "brainwashed". 

What is the meaning of "freedom"? 

I don't know anymore. 

 

もちろん、ステレオタイプや偏見を持つ人を

批判することは正しくない。

それは正しい解決法では、決してない。

 

Of course, accusing people with stereotypes ans prejudices are not "right thing" to do. 

That is defiantly NOT a right solution for the problem. 

 

人は自分の色眼鏡を通してしか

世界を見ることはできないし、

その色眼鏡は社会と文化と

習慣と経験によって色付けられていく。

それをつけていることすら、人は気づかない。

そんな人を、どうして非難できる?

ただ、知らないだけなのに。

 

People can only see the world through their own coloured-lenses.  

Lenses are painted by social norm, culture, customs and personal experiences. 

And  people don't even realise to have such lenses on. 

How come you can blame and accuse such people? They just don't know...

 

でも、人は理解し合おうとすることを

諦めたら絶対にダメだ。

分かり合おうとしなくていい。

そんなの意見の押し付け合いになるだけ。

理解しようとすること。

そうすると人は話そうとする。

相手は聞こうとする。

そのプロセスが大切。

 

But people must not give up on trying to comprehend the others. 

You don't need to understand the other. 

That's only leads to forcing one's opinion over the other, in order to change other's opinion. 

You try to comprehend. 

So you will try to explain. 

So you will try to listen. 

That process is the most important. 

 

その上で、人は自分の個人的見解を

個人として持てばいい。

それを他に押し付けようとした時点で、

自由という大義名分の元に

相手の自由を潰し

自分の主張と生き方を押し付けてるだけ

ということに気づかないといけない。

 

And only then, you can have your own individual perspective, "as an individual".

On the moment you try to force the other to see the world in the way you see, one should realise that he is using the name of "freedom" in order to take away the other's freedom, and to force the other to see and live the way hw wants the other to live. 

 

簡単なことじゃない。

でも人は分かり合える。

本当に悪い人なんていない。

そういう意識を持ち続けないと

きっと、理解し合うことなんてできない。

 

It's definitely not easy.

"But people can comprehend one another". 

"There's no evil person in this world". 

If you don't start from that point of view,

how come we can understand one another? 

 

勘違いのせいで、知らなかったせいで

誰かを憎むことも、嫌いになることも、

そのせいで傷つくことも、無意味なこと。

人生が、勿体無い。

命が、勿体無い。

 

Because of misunderstanding,

because you don't know,

you start to hate someone, dislike someone, and because of that you hurt yourself...

All of this is useless. 

Don't waste your life. 

Don't waste your soul.  

 

教育とは、

学問とは、

研究とは、

学びとは、

自由とは、

個人とは、

社会とは、

文化とは、

一体なんなのか。

 

What is

education,

academics,

researches,  

learnings,

freedom,

individal,

society,

culture,

 

what are they in the end of the day? 

 

 

何ができるのか。

What can we do? 

 

結局、最後は祈るしかない。

優しい世界になるように。

全ての人が愛さる世界に。

全ての人に優しい世界に。

 

In the end, you can only pray. 

Pray for the world to be a kind place. 

Pray the world to be a lovable place for everyone. 

Pray the world become a kind place for everyone. 

 

Maktub...

 

 

これは誰に向けた批判でもなく、

自分と、世界に対する戒め。

改めて、自分に向けた叱咤激励。

頑張らないと。

強くならないと、優しくなんてなれない。

だから、強くならないと。

 

This is not a criticism for anyone. 

It's only a reminder for myself.

And for the world. 

A word to spurred myself, to try harder. 

You cannot be gentle unless you are strong. 

Thus I must be strong. 

 

皆を守れるようになるために。

皆に優しくいられるようになるために。

ごめんね。

頑張るね。

だから、あなたも、

「わたし」を、諦めないで。

To be able to protect everyone. 

To be able to be gentle for everyone. 

I'm sorry for hurting you because of my weakness. I'll try by best.  

Thus, you too, please don't given up on me yet. 

 

はてなブログの困ったな

はてなブログ

ちょっと前から

書いてアップしたら

なぜか文章全部飛んで

真っ白のままアップされて

書いた内容全部消えることが

多々ありまして。

 

アプリの問題かなと思って

アプリ再インストールとかもしてるんだけど

なかなか改善されません。

 

それもあって最近更新おろそか。

 

ブログお引越ししようかな...

おすすめのブログ媒体あったら

ぜひ教えてくださいな♬

自分と他人と私と

知らないで判断してることって

この世の中でどれくらいあるんだろう。

首まで浸かって初めて

見えて来る世界っていうのがあって。

でもそれを人に説明して

理解してもらうのはこんなにも難しい。

 

結局のところ人は人で

個人の感情や感じたことなんて

他人には計り知れるものであるはずもなく

想像の域を出ないものであって。

 

ただ。

「信じてない」と断言して来る相手に対し

本当の自分をさらけ出せるはずもなく、

さらけ出したところで

相手は見たいものしか見ないわけで

結局のところ相手の思う「私」でしかありえなくて

でもその「私」はとっくの昔に

「私」なんかじゃなくなってて。

 

「あなたらしくいて」と言われるけれど

「私らしさ」って何なのだろうか。

それはあなたの望む「私」であって

本当の今現在の「私」なんかじゃなくて。

 

だって。

どんなに頑張ったって

人は自分じゃない存在になんてなれないし。

例えば人の真似を頑張ってしていたとして

そうやって人の真似をする自分が

また「自分らしさ」であるのであって。

 

なんてことを言ったところで

伝わるわけもなく。

だって人は見たいものしか見ない。

 

だったら、もういいや。

自分らしく、あなたらしく。

 

人を理解してるなんて

そんなこと思わない方がいい。

自分でさえも自分自身を

理解しきれてない中で、

どうして他人を完全に

理解することなんてできるのか。

 

それは、ただのおごり。

おごりは自分の期待値を高め

それだけ期待に反した結果がでたときの

裏切られたような気持ちが強くなる。

 

自分に対する戒め。