maktub

ume's wanderlust diary

London terrorist atack

こういう事件が起こるとき、1番最初に感じるのが悔しさ。そして悲しさ。

 

また、ムスリムの人たちにとって、世界は少し住みにくいところになってしまったのかもしれないっていう想い。何で、また、こういうことが起こるんだろう、どうして事件の首謀者はこういう事件を起こしてしまったんだろうっていう想い。

 

どうして、どうして、どうして。

 

事件の首謀者達がどういう生い立ちで、なにを見て、なにを経験して、どんな人生を歩んで、どういう人とつるんで、どうしてそういうことを決行するに至ったのか、私は知らない。分からないし、知る術もない。

 

私は自己中だから、1番に考えるのは自分のムスリムの友達のこと。そして、世界のムスリムに対する反応のこと。

 

どうして、この人たちは、今の世界のムスリムに対する現状を知っていながら、他のムスリムのことを考えず、またこういう事件を起こしてしまったんだろうって。そう、考えてしまう。悔しい。悲しい。少し、苛だたしい。

 

私はムスリムじゃないし、イスラムを信仰してるわけでもない。でも、オーストラリアに来てから何だかんだと、イスラムに触れる機会を持ったし、今もムスリムの友達と一緒に暮らしてる。たくさん話をするし、一緒に暮らす中で見えるものも、ムスリムと関係を持ったことがない人よりも、あるはずと思っている。

 

勿論、分からないこと、沢山ある。

一緒にいるからといって、その人たちのことを全て分けるわけじゃない。

それは、日本人の友達だろうと、イタリア人だろうとイギリス人だろうと、恋人だろうと家族だろうと、同じこと。

 

でも。

 

ムスリムだからって、

イスラム教だからって、

それが私の友達の全てを占めるわけじゃない。

 

宗教はその人個人のたった一部でしかなくて。同じムスリムでも、宗教の捉え方や向き合い方は違ってるし、性格だって、考え方だって、全然違う。

 

そんなの、キリスト教の人も、仏教の人も、ヒンドゥー教の人も、一緒のはずなのに。

何でイスラム教だけは、全て同一視されるんだろう。

 

私の知ってるムスリム達は、皆すごく優しい。

日本人や、イタリア人や、世界のいろんな人と変わらず、冗談を言い合ったり、バカなことして笑って、くだらないことを話し合って、仲間を大切にして、ご飯はお腹いっぱい食べるし、仕事は真剣にするし、でもサボったりもするし、色んな悩み抱えながら生きていたり、怒ったり、泣いたり、苦しんだり、喜んだり。

 

なにひとつとして、変わらない。

 

こんな事件、日本でだってあったじゃん。

秋葉原で無差別殺人事件があったとき。あれは、普通の日本人がやったことじゃん。だからって、日本人はおかしいとか、怖いとか、テロだとか、そんなことにはならないじゃん。それは、あくまで、その人個人の問題で、弾弓されるべきはその個人であって、それが「日本人」とか、「日本人男性」とか、そんなカテゴリーには落とし込まれない。

 

分かんない。

世界はどんな反応をするのかな。

アメリカは、トランプ大統領は、他の保守的な考え方の人達は、どんな反応をするのかな。

分かんない。

この事件が、これから先の国際政治に、国際的な世論に、どういう影響を与えるのかな。

分かんない。

だから、怖い。

 

今はラマダン月で、だから日が出ているときは皆断食してる。

でもね。

 

皆人間だからさ、タバコ吸ってみたり、ご飯つまみ食いしたり。ちゃんと毎日お祈りして、頑張って断食してる友達もいれば、「断食断食」って言いながら手には食パン持ってもぐもぐやってる奴もいて、そんな仲間を「おいー笑笑 食べてるやん!笑笑」って言って、皆でこしょこしょしてみたり、「お前も食え!笑笑」とか言って無理矢理パン食べさせようと意地悪してみたり。

 

そんな感じ。

本当にね。

皆で「ダイエットやろう月間」「禁煙しよう月間」をやったとして、その時の雰囲気と変わらないだろうなって、そんな印象。伝わる?

 

普通の、何ら今までに出会った人達と、変わらない、普通の愛おしい日常。

 

だからね。

 

だから。

 

優しくあってほしい。

この世界には優しくあってほしい。

事件を起こした人を許せとは言わない、見逃せとも言わない。

それは、違う。

罪を犯した人はこの世界の、それぞれの国の法で罰せられらのが、今の世界のルールだし、それは別に間違ったことじゃない。

 

ただ。

その家族まで、その同じ宗教観を持つ全ての人達にまで、怒りの目を、偏見の目を、恐怖の目を、向けないでほしい。

 

大袈裟かな?

怖がりすぎかな?

心配しすぎかな?

 

もしかしたら、もう、世界は、そんなこと十分わかってて、

だからいちいち個人がこんなこと書かなくても、事件を起こした個人と、その個人が属する何かしらのカテゴリーとを分けて見ることができる段階にいるのかな。

 

もう、9・11から15年以上、か?

この世界は、どこまで優しくなれているんだろう。

この世界は、どれだけその目を開いて、広い視点で世界を見つめられているんだろう。

 

不安になるのは、こういう事件を取り上げるとき、ムスリムが関与してると必ず「テロ」って言葉が使われるから。

こういう事件を取り上げるとき、必ずと言っていいほど、「アラーのために」とか「イスラムのために」とか、そういうことを事件の首謀者が口にしたって伝えられるから。

 

そういうところで、無意識下で、ムスリムイスラム、アラーって言葉に対して刷り込みが行われる。そう、思う。

 

優しく、あってほしい。

ただただ、それだけなんだよ。

 

言葉を、想いを、感情を、経験を、

見たものを、聞いたものを、感じたものを、触れたものを、

伝えるのは

どうして

いつまで経っても

こんなに難しい。

 

ただ。

私は、私の手の届くものしか守れないから、せめて、この手の中にあるものだけでも、優しく、強く、大切にしたいと思う。ただ、それだけの思いで、書いた、だけ。

 

結局人は自分勝手で自己中心的で、自分の見えるものしか、大切にできないから。

 

僕は僕の見えるものを、大切にしたい。

僕の手の届くところを、大切にしたい。

せめて、そこだけでも、守りたい。

 

そうしていつか、

もっと広い、遠いところまで、

守って、愛せたら、いいなって。

そう、思うよ。